『第3話』わが家の奇跡?

思い出

第3話

奇跡が起こった?

第2話で、ネリオとツバキの結婚式の出来事について触れましたが、挙式後、二人で一緒に暮らす家探しが始まりました。

今後のことを考えると、実家に近い方が何かと便利なので、ツバキの実家近辺で手ごろな物件を探しました。2駅くらい離れた場所へ、建設中のマンションを見に行ったりしましたが、どうもピンときませんでした。

その頃、私は実家で両親と3人で暮らしていました。実家の同じ敷地内には、もう一軒古い小さな家が建っていて、こちらは人に貸していました。当時は、K川さんという方が15年くらい住んでいました。
そんなある日、K川さんから突然、家を出ていきますというお申し出がありました。
なんでも、息子さんが家を建てたので、そちらへお引っ越しされるとのこと。

思いがけず、実家の隣が空き家となりました。
まさに渡りに船。

奇跡的! ナイスタイミング‼ (((o(*゚▽゚*)o)))m

そんな訳で、私は実家を出て、隣の家でネリオと暮らすことになりました。

百歩譲っても、決して使い勝手がいい家とは言えなかったため、 少しでも快適な住まいになるように、 日々創意工夫を凝らしながら生活していました。

散らばる部屋も、広いスペースもなく、後に生まれたサクタと家族3人ギュッと小さくまとまって暮らしていました。
お互いの距離が近かったため、いつもたくさんの会話があり、たくさんの笑いがありました。
引きこもる子供部屋もなかったので、サクタとも非常によく話をしました。

不便な点も多かったけど、だからこそ、素晴らしい親子関係が築けたのではないかと思っています。

祖母の思い出

明治35年生まれの祖母が、この土地に移り住んできたのは昭和30年代だったようです。
今と違って、周りにはほとんど家がなく、 徒歩10分程度の場所にある地下鉄の駅の辺りまで、見通すことができたそうです。 (※その頃は当然まだ駅はありませんでした)

祖母は、簡単な家計簿兼日記のようなものをつけることを日課としていました。
市販のノートではなく、自分で作ったオリジナル帳面を使っていました。
しわを伸ばして大事にとっておいた包装紙を、いろいろな色や柄が交ざるように並べて、大きさを揃えて切り、中心を糸で止めます。糸を通す部分は、破れやすいので別の紙でしっかり補強して、一冊一冊丁寧に作っていました。細い縫い針に糸を通すのは、いつも孫の私の役目でした。

いちいちこんな面倒な作業をするのは大変だろうと思い、ある日、お小遣いでジャポニカ学習帳の『こずかいちょう』を買って、祖母にプレゼントしました。

ありがとうと喜んで受け取ってはくれましたが、そこに文字や数字が書き込まれることは一度もありませんでした。
やはりオリジナル帳面でなくてはダメだったようです。

その頃は全く理解ができませんでしたが、ようやく最近、その意味が分かるようになってきました。

ツバキのつぶやき
私が25歳の時、祖母が亡くなり、通夜に親戚一同が集まりました。
親戚のお姉さんが私に近づいてきて、『おばあちゃんは孫の中でも、一番ツバキちゃんのことを可愛がっていたよね~』と声を掛けてくれました。
祖母はそのお姉さんのこともよく褒めていましたから、『いやいやそんなことないですよ』と私は心の中でつぶやきました。
お姉さんは続けて言いました。『おばあちゃんね、私たちが遊びに行くと、いつもツバキちゃんの成人式の写真を出してきて、綺麗でしょ~って言いながら何度も見せてくれたよ~』
えっ?今、なんて?
あの、燃やしてしまいたいくらいブサイクな写真を親戚じゅうに見せまくってた~⁈
ええええええええええええ~っつ!!! (;゚Д゚)
ちょっと、おばあちゃん、なんてことするのよ~!!! ヽ(`Д´)ノプンプン 

葬儀会場で夕飯に出された助六寿司を横目に、ひとりワナワナと怒りに震えていた夜でした・・・







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